張博恒選手オリンピック後の現在は?これまでと今後について

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顔も性格もイケメン!と一躍注目された中国・体操の張博恒(ちょう・はくこう)選手。

オリンピックが終わった今、張博恒選手はどうしているのでしょうか?

また、ここまで注目される選手になる前の張博恒選手はどのような生活をしていたのでしょうか?

最近投稿された張博恒選手の帰国vlog张博恒更新回家Vlog_哔哩哔哩_bilibili)などを交えて、

張博恒選手のこれまでと今後に迫りたいと思います。

※ 張博恒選手のプロフィールはこちら

張博恒選手も選手村の食事には不満!母の手料理が恋しい日々

パリ2024オリンピック選手村の食事は最悪だと各国選手が不満を露わにしていたのは

記憶に新しいところ。

張博恒選手も例に漏れず、‟選手村の食事は不満”だったと語っています。

選手村2日目ですでにパンとヨーグルトで不満を感じていたのだそう。

張博恒選手ら一流アスリートは普段から節制した厳しい食生活をしています。

好きな物を食べられるわけでもなく、ただお腹を満たすだけの毎日。

だからこそせめて選手村の食事は満足できるものであってほしかったことでしょう。

そんな張博恒選手の食事面の願いは「家に帰って母の料理を食べたい」。

練習や遠征でなかなか帰れないことも多い張博恒選手。

オリンピック終了後はやっと家に帰宅することができ、念願の母の手料理も食べることができたそう。

メダリストであれば、奨励金で派手にご飯を食べたり買い物することを想像されがちですが、

張博恒選手は派手さはなくとも家族と何でもない時間を大切にしている点が好印象です。

そんな素朴な性格も張博恒選手が愛される理由なのかもしれません。

ごく普通の家庭で育ち、どこにでもいるゲーム好きの少年だった

いまでこそ中国の体操界においてスターのような存在である張博恒選手。

しかし張博恒選手はもともと裕福でもサポートに恵まれていたわけでもありません。

ごく普通の家庭で生まれ育った張博恒選手。

子供の頃の張博恒選手はゲームが大好きで1日中遊んでいたと語っています。

そのせいで勉強をせずどんどん成績が悪くなり、両親に何度も叱られていたそう。

あまりに勉強をせず成績が上がらないことに両親は痺れを切らせ、

張博恒選手はスポーツ学校に進学させられました。

両親に半ば無理矢理やらされ渋々体操を始めた張博恒選手でしたが、

先生の熱心な指導や張博恒選手の素質と努力で、大会で好成績を収めるようになります。

ここから張博恒選手の体操選手としての道が始まりました。

苦悩を乗り越えたからこそ、紳士な性格の張博恒選手がいる

体操の才能を開花させた張博恒選手ですが、現在に至るまで順風満帆にきたわけではありません。

寮生活時代、出前で食事をしたりしょっちゅう仕送りが来るクラスメートを見ては

お金持ちである家庭がとても羨ましかったとのこと。

時にはあきらめかけたこともありました。

またスポーツ界はスポンサーなどなにかとお金が絡む世界。

宣伝のために張博恒選手を利用しようとするスポンサーも当然ありました。

実際の実力よりも誇張宣伝され、結果として何も達成できず批判を受けたことも多々あったそう。

応援も批判も全て受け止めそれを乗り越えて、現在の張博恒選手があるのです。

金メダルが期待されるも、日本との死闘を繰り広げ銀メダルで終わった張博恒選手。

オリンピック終了後は張博恒選手ら中国体操選手団はすぐに帰国するとされていましたが、

なかなか帰国する様子がなく、ネット上では彼らが消息不明になったと一時騒然。

しかし数日後、中国体操チームが帰国する様子が報道され張博恒選手も姿を現しました。

オリンピックでは色々あった中国体操チーム。

これ以上ない応援も批判もたくさんありました。

誰にも見つからないようオリンピック後つかの間の時間をチームでとっていたのかもしれません。

張博恒選手は次に向けてはやくも練習開始

張博恒選手は「ロサンゼルス(オリンピック)に行きたい」と早くも次の目標を掲げています。

やっと帰宅できた自宅であっても寝る前のストレッチはかかさず、

次の日は朝からいつもの時間通りにトレーニングするというから驚き!

そう遠くはない次のオリンピックに向けて、張博恒選手は始動しています。

困難に直面しても負けずに黙々と努力する姿は、張博恒選手の勤勉さと粘り強さを感じます。

努力と忍耐力があってこそ、夢を追い求めることができると張博恒選手を見れば分かります。

ロサンゼルスオリンピックで活躍する張博恒選手の姿をぜひみたいですね。

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